アメコミホリデイ

アメリカンコミックスの魅力に目覚めて以来、日々楽しく周辺文化に接しています。アメコミに関して感じたことをつれづれ綴っていこうと思います。 なにぶん始めたばかりのブログですので、お気が向きましたらリンクや記事のご紹介等して頂けますと、とても励みになります。

スピルバーグ版“THE FLASH -フラッシュ-”こと『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』

せっかくクリスマスも近いので、クリスマスものとしても楽しめる映画を一本ご紹介しようと思う。

とはいえ紹介するのはもはや殿堂入りの一本であろうスティーヴン・スピルバーグ監督作『キャッチミーイフユー・キャン(Catch Me If You Can)』(2002)だ。

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なぜ今更…とお思いの向きもあると思うが、この映画は今こそが見所なのだ。

そう、記事タイトルにもある通り、この映画はスピルバーグ版“フラッシュ”とも言える一本だからである。

 

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CW 局制作のグラント・ガスティン主演ドラマシリーズが絶好調。エズラ・ミラー主演での映画化も近いスーパーヒーローにまつわる作品を押さえておくのも一興かと思う。

 

まずはその前に“フラッシュ”というのが、一体どのようなキャラクターなのかということをひとさらいしておこうと思う。映画の話からは一旦外れるが、フラッシュのキャラクター性がそのまま『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』の中で言及されるにあたり重要な要素になっているため、まずは確認したい。

 

ここでいう“フラッシュ(THE FLASH)”とはDC社のスーパーヒーローコミックスのキャラクターで、俗に言う二代目フラッシュことバリー・アレンを指す。超高速で走ることが出来るという特殊能力を持つスーパーヒーローである。

 

以下、初代フラッシュと二代目フラッシュを比較する。 

 

初代フラッシュ(ジェイ・ギャリック) 初出1940年1月『Flash Comics #1』

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二代目フラッシュ(バリー・アレン) 初出1956年10月『Showcase #4』

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ご覧の通り、二代目とはいうが、中身の人物が代変わりしているだけの同じ見た目のキャラクターではなく、初代フラッシュを全面的にリニューアルしたキャラクターのため、二代目は新フラッシュという呼ばれ方もされる。

 

初代フラッシュはいわゆる“ゴールデンエイジ”のキャラクターである。

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“ゴールデンエイジ”というのは、最初にスーパーヒーローものが流行った世代のことを指すコミック界の共通用語だ。1938年のスーパーマン登場を嚆矢として、その後大戦近辺までの数年間だけ続くことになる、文字通りスーパーヒーローコミックスの第一次黄金期のことを指す。

 

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初代フラッシュ、ジェイ・ギャリックはいかにもスーパーヒーローもの黎明期のキャラクターらしく、俊足の神ヘルメスの化身といったイメージの、今にしてみるとある意味で素朴な佇まいが魅力的なキャラクターである(鉄兜というのが時代性を感じさせるシルエットであり堪らなく素晴らしい)。韋駄天であり、足の速さを生かして戦うヒーローである。

 

しかし“ゴールデンエイジ”は長くは続かず、戦時中は怪奇物等のコミックスが人気の主流となり、スーパーヒーローもののコミックスは時代の徒花として勢いを失っていく。基本にして定番のキャクターであるスーパーマンバットマンワンダーウーマンは刊行を続けるものの、その他のヒーローは刊行されなくなってしまう。

 

所詮スーパーヒーローものはいっときの流行りだったか…と思われたが、1959年、戦後の文化を象徴するような、SF的解釈の施された科学の申し子として、新たなヒーローが誕生する。

 

二代目フラッシュこと、バリー・アレンだ。

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一見してわかる通り、新生フラッシュは初代フラッシュとは見た目が大きく変化している。SF的なスタイルのスリムなスーツをまとい、より洗練されたシルエットとなった。まさに科学の時代を標榜するフレッシュで素晴らしいデザインである。

 

ちなみに日本では4年後の1963年に『8マン(エイトマン)』が登場している。鉄腕アトム鉄人28号に続く形で登場したヒーローだが、彼らとは系統の異なるモダンなバトルスーツを着用しており、こちらも当時のSF世界からの影響が大きいデザインで、非常に格好良いフォルムを誇る。主な能力は高速移動というのも、近い時期のフラッシュを思うと奇縁である。

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閑話休題

 

とまれ二代目フラッシュことバリー・アレンは新世代の申し子であり、その点は彼のオリジンにもそのまま表れている。

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警察の科学捜査官であるバリーは実験中の事故で高速移動の能力を手に入れるが、その能力を生かしてヒーローとして活動することを決意する際に、初代フラッシュことジェイ・ギャリックにあやかって『フラッシュ』を名乗ることに決めるのである。

 

バリーはコミックスのファンであり、劇中に存在する初代フラッシュのコミックスを読んでいたのだ。いかにもスーパーヒーローもの第二世代を象徴するような、ある種のメタ的な目線が、彼の設定には当初から存在しているのである。新世代の物語であることを標榜するかのような設定だ。

 

そしてバリーの登場はそのまま、第二次スーパーヒーローもの隆盛のきっかけ、先駆けとなっていく。

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新生フラッシュの好評を受けて続々リニューアルヒーローや新ヒーローが生み出され、それに刺激を受けたライバル会社のマーベルもファンタスティックフォー等、新たなスーパーヒーローものコミックスを創刊していき、いよいよスーパーヒーローものがコミックスの現場での主流となることが決定的になっていく。のちに“シルバーエイジ”と呼ばれる、スーパーヒーローもの第二次黄金期の幕開けだ。

 

バリー・アレンというキャラクターはDC、マーベルを問わず、現代に直接続く“モダン”なスーパーヒーローものの系譜を語る上での最重要人物だということがお分かり頂けると思う。私にとってフラッシュは最もお気に入りのスーパーヒーローであるが、その理由の一端にはこのような彼の来歴も影響している。

 

大きく迂回したが、以上が二代目フラッシュバリー・アレンというキャラクターの概略だ。映画の話に戻る。

 

キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン(Catch Me If You Can)』は有名な元天才詐欺師フランク・W・アバグネイル・Jr.の自伝『世界をだました男』を元に映画化した、半実話、半虚構の映画である。

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伝記映画…ではなく、フィクションも大いに取り込んだ劇映画であるわけなのだが、そこで織り込まれるフィクションの選定が非常に効果的で上手いのだ。

 

そして、その中でも白眉なのが『THE FLASH』の引用なのである。

 

劇中、ディカプリオ演じる逃亡中の詐欺師の主人公アバグネイルが、トム・ハンクス演じるFBI捜査官によって追い詰められ銃を突きつけられたその時、とっさに、かつ大胆にも、自分はシークレットサービスの“バリー・アレン”だと騙るのだ。

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そう、アバグネイルもまた、コミックスの中のバリーと同じように、自分が愛読していたコミックスのキャラクター名を名乗るのである。

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その後もアバグネイルは一流のハッタリと度胸と機転と奇想天外な発想で、度重なるFBIの追走を振り切り、あの手この手を駆使して逃亡を続ける。

 

最速のフラッシュと最速の逃げ足を掛けていることは言わずもがなだが、自分が愛読していたコミックスのキャラクター名を名乗るという部分でも、ディカプリオとバリーの来歴が共鳴しているという構図に着目したい。

 

この仕掛けにより、ある種の入れ子構造…フィクションを介して二重化した構図が出来上がる。

 

そして最終的に逮捕される運命にあるアバグネイルは、とある人物の思いやりと采配による救済を経て、まさにバリー・アレンと同じ職に就くことで、本物のフラッシュとなるのである。映画の最後でアバグネイルとバリーの運命がシンクロすることで二重構造の底は閉じ、物語はその周到に構築された構図の全貌を露わに終結する。

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また構図としては二重構造だが、実際にはこの映画自体が実話にしてフィクションであるため、観客の視点はより一層、重層的になっていく。めまいを伴うほどに多重化した視点により、物語は寓話的な色合いさえ醸し出し始め、明確な時代性を刻み込む実に精細な細部の描写や、現実に存在する悲劇的な諸問題と相対するようにして、多くの人々が思い浮かべるような普遍的なおとぎ話としての気風を纏っていくのである。

 

このように、本作は寓話的、神話的な構造を構築し、実にスマートなメタファーの提示をすることにも成功している。しかもそれを実現するのに際して、大上段にかしこまった説話を引用するのではなく、現代の神話とも言えるコミックブック、スーパーヒーローものを採用するという姿勢が、本当に素晴らしい。人並み外れて賢いが、決してインテリ気質ではない主人公のキャラクターにもマッチしているし、フラッシュは物語の構造上もキャラクターの性質としても、引用するにあたり完全にはまっている。気取った姿勢は全く取らずに高度な達成を遂げていて実に洒脱なのである。

 

ことほど左様に、フラッシュの引用は本作の本筋を象徴するような効果を醸し出しており、実に見事な重ね合わせなのだが、意外にも本作が映画論的に語られるとき、この件が指摘されることは少ない。少なくとも日本ではまず見かけないと言ってもいい。そこで、コミックブックファンとして、その点を中心にご紹介したいと思った次第である 

 

もとより有名な人物を基にしている映画である。歴史、伝記ものはすべからくそうであるが、当然、人物の帰結は最初から知れている。無論、だからこそ、そこからどのように意義のある物語を語るのか、という点で話者の工夫が問われることになり、その点本作は見事と言うほかない。 

 

また本作はクリスマス映画としても一級品だ。主人公と捜査官の楽しくスリリングな追いかけっこを基調としながらも、時代や環境の悲劇的状況に翻弄され、詐欺師として生きざるを得なかった年若き主人公に対する目線の優しさと深さが素晴らしく、“道徳や綺麗事だけに縛られれないこの世の優しさを垣間見られる”系映画として、つまりは、クリスマス映画として素晴らしい物語になっている。救済を扱った映画として、実際に劇中でも何度となくクリスマスのシーンが象徴的に映し出される。この時期お勧めし易い作品でもある。

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アメコミファンの諸氏におかれてはNetflixに加入されている向きも多くいらっしゃることと思う。本作も折良くNetflixでも視聴可能であるので、是非あらためて鑑賞されてはいかがだろうか。 

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Merry Xmas ♪