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アメコミホリデイ

アメリカンコミックスの魅力に目覚めて以来、日々楽しく周辺文化に接しています。アメコミに関して感じたことをつれづれ綴っていこうと思います。 なにぶん始めたばかりのブログですので、お気が向きましたらリンクや記事のご紹介等して頂けますと、とても励みになります。

映画『ドクター・ストレンジ (Doctor Strange)』(2016) 感想《本筋のネタバレなし》

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心待ちにしていた映画『ドクター・ストレンジ (Doctor Strange)』(2016) が、本国での公開後、年をまたいで遂に日本での公開初日を迎えたため、早速鑑賞してきた。

 

公開直後の興奮冷めやらぬ中での感想のため、やや取り乱しているかもしれないが、よろしければご容赦願いたい。

 

尚、本エントリは本筋に関わるネタバレはしない。とはいえ、予告編レベルのものでもバレが気になる方は、鑑賞後にご一読頂けると幸いである。そもそも私自身が、心から楽しみにしている映画に関しては予告編すら回避したいタイプである。

 

一箇所だけどうしても最終バトルのギミックに関して言及したかったため、ギミック面のバレに触れるが、その箇所は事前に注意を促しているため、該当する段落は鑑賞前の方は読み飛ばしていただけると幸いである。

 

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ドクター・ストレンジ (Doctor Strange)』、端的に言って最高であった。

 

初報で本作の監督がスコット・デリクソンに決定したとの知らせに際した時などは、彼氏が過去に監督した大作映画の記憶が脳裏をかすめ、やや不安な心持ちになった諸氏も少なからずいたのではないかと想像するが (私自身そうであった)、そのような不安は全くもって杞憂であった。

 

プロデューサー陣はむしろドラマシリーズ『NY心霊捜査官 (Deliver Us from Evil)』(2014) での仕事を参考にスコット・デリクソンを起用したの事で、その座組は見事に成功したと言えよう。上手く嵌まっていたと思う。また今回はとにかく脚本がしっかりと上質なものになっており、マーベルスタジオ製映画最新作の名に恥じぬ仕上がりとなっていた。彼氏にとっても会心の作となったに違いない。

 

それでは順を追って内容に触れていきたい。 

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なにはともあれ、まず本作で第一番に褒め称えられるべきはキャスティングである。ドクターストレンジを演じた主演のベネディクト・カンバーバッチはもちろんのこと、脇を固める役者陣もあまねく素晴らしいハマり具合であり、それぞれが魅力的な演技を見せている。

 

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ドクターストレンジの師、エンシェント・ワンを演じたティルダ・スウィントンも実に素晴らしかった。彼女といえばDCコミックスのヒーロー、コンスタンティンキアヌ・リーブスが演じた2005年の映画版で大天使ガブリエルを演じていたその人である。

 

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この映画版コンスタンティンはそれなりにヒットはしているが、時期的にマトリックスの二番煎じ的な企画と誤解されがちな作品でもあり、特に日本では中二病的なイメージも相まって、やや軽く見られがちな作品ではあると思うのだが、実際にはキャラクターデザインも含めてビジュアルデザインが非常に優れた一見の値打ちがある作品である。

 

そもそも我らがDCヒーロー、コンスタンティンの映像化作品としても重要な一作だ。それに本国ではもちろん中二病的…というのとは少しニュアンスが違って、ケレン味重視のオカルト趣味物として、大衆小説の源流であるゴシック怪奇路線の系譜に連なる作品とも位置付けられる存在である。

 

中でも大天使ガブリエルと悪魔王ルシファーの造形はその手があったか!と唸らされる見事なもので、実に怪しく美しく、リアルな説得力に満ちていた。本当に悪魔が現実世界に顕現したら、確かにこんな感じかも…と思わせる、実にセンスの良いデザインなのである。実際には限られた予算規模を逆手に取ったCG処理の少ないデザインなのであろうが、最低限の演出で存在感を放つキャラクターを再現できており、素晴らしい仕事であった。

 

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そしてティルダ・スウィントンが演じた大天使ガブリエルである。人間存在を超越したような、ある種浮世離れした人物を演じさせたら、そうそう右に出るものはいないであろう彼女の佇まいには、一瞬で心を奪われる。絶妙なバランスの御尊顔も含め、まるでルネサンス期の宗教画に描かれた人物が、そのまま動き出したかのような存在感を放っているのである。

 

あまりに美しい。その柔和な微笑みは思わずラファエロの作品群を連想させるほど優しく穏やかで、しかし同時に、心を悟らせないアルカイックスマイルとの間を、絶妙な揺れ動きで常に行き来しているような表情を見せるため、畏れをも感じさせる。

 

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また、天使としての姿を露わにしてからの、男性でも女性でもない姿、天使としてのリアルな造形も素晴らしかった。そこでの彼女の、性別を超越した悪戯な魅力に魂を射抜かれてしまった方々の中には、むしろ女性の皆様も多数いらっしゃったことであろうと容易に推察される。正直、ガブリエル様に踏み敷かれたキアヌ・リーブスを羨ましいと思った観客は男女問わずむしろ多数派ではなかったか。嗚呼ガブリエル様…。

 

失敬。というわけで、ティルダ・スウィントン様… ティルダ・スウィントン氏である。カンバーバッチの存在感を真っ向から受け止められるような、超人然とした役者としては、彼女氏は最適任だ。

 

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彼女は本作でも非常に素晴らしかった。やはり役者としても一級の人物である。ふとした瞬間にお茶を啜るときの力を抜いた所作など、細かい部分にまで“達人”としての息遣いが宿る、まさにため息ものの名演を見せている。そりゃあこの人は魔法ぐらい使えるだろうと言わざるを得ないような説得力に溢れる演技であり、実に見事であった。

 

東洋的な題材を扱う際にいかにもな西洋人が起用されることに関しては議論の余地があるし、実際本作も私が敬愛するジョージ・タケイ氏が一言、物申していたが、本作に関してはティルダ・スウィントン氏の出自を活かし、ケルト人であるという設定がしっかりと世界観にも活きていたため、出来ればご容赦いただきたいといった心持ちである。俳優の存在感と演技力を適切に配することができているため、内容的な仕上がりも素晴らしい。エンシェント・ワンはストレンジを導くメンターとして、ドラマ面での背骨を背負っている役柄でもあるし、これだけ説得力のある存在を配することが出来たことは賞賛に値する。

 

とはいえ、個人的には一連のスター・ウォーズスピンオフの中で、なぜドニー先生が最強のジェダイとして活躍する単独主演作を一本撮らないのかと義憤に駆られていたりもするので、今後アジア人俳優の活躍の場が、本家スタートレックの世界と同様にますます増えることを願っている。

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先にティルダ・スウィントン氏の感想を述べてしまったが、無論のこと、カンバーバッチも素晴らしい。そもそも役者としての彼氏の存在感は格別である。私も個人的にファンであり、シャーロックシリーズはもちろんのこと、他の映画での出演作も毎作楽しみに鑑賞している。一言で言って大好きである。舞台でも素晴らしい上に、映画映えもする。いわゆる出ているだけで嬉しいタイプの俳優である。本作が制作を開始する前、いっときドクターストレンジ役をカンバーバッチが受けられないと報道されていた時期があり、実際、他の候補としてイーサン・ホークホアキン・フェニックスが挙がっていたらしいが、さすがにここまでの映画としての惹きと勢いを作れたのは、カンバーバッチの起用があったればこそであろう。もちろん個人的に彼らも大好きな俳優であるのだが(イーサン・ホークは特にルックスが好み)。製作陣もカンバーバッチに対する世界的な期待を感じていたのであろう、彼氏のスケジュールがクリアになるまで待つことにしたそうである。大正解だ。実質それ以外に選択肢は無かったであろう。

 

ご存知の通り天才かつ変人役というのは、カンバーバッチ氏が大得意とする役柄である。まあとにかく彼氏には天才役がハマる。と同時に、どこか残念な人というニュアンスも醸し出されるため、キュートでもあるのだ。ドクターストレンジはまさにそういう人物だ。ハマり役である。また、彼氏の演技力もしっかりと活きており、外的な変化よりもむしろ内的な変化に重点を置いた本作のストーリーを体現するように、微細な表情や息遣いの変化で、ドクターストレンジが辿る内的な変遷をじっくりと見応えある演技で表現している。また、これはシャーロックシリーズでも実証済みであるが、神経の細かそうな自らの洒脱な雰囲気を活かしたコミカルな演技も絶品であり、本作でもそれはたっぷりと堪能できる。

 

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そしてマッツ・ミケルセンである。彼氏も個人的に大好きな俳優だ。素晴らしかった。が、今回、キャラクターの見た目として、目の周りがヒビ割れた状態での登場が劇中の大半を占めるのである。せっかくのマッツ・ミケルセン氏の美しい御尊顔をそんな…なんというもったいないことを…という思いと、原作再現して偉いぞ、という、アンビバレンツな思いが交錯し、終始複雑な心境であった。

 

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も…もったいない…もったいないぞ…。ちなみに彼氏といえば007カジノロワイヤルでの面白すぎる拷問シーンが印象深い。思い出すだにニヤけてしまう。

 

脚本の話に戻る。本作は設定の詰めも良い。“魔法”というものを扱う作品においては、とにもかくにも、そのルールを明確にするという事が一大重要事となる。“魔法”だなどと言い出したが最後、基本的になんでもできてしまうものであるため、下手に扱えば、ひどく弛緩した世界観になってしまう。作品全体が何でもアリになってしまうと、当然のことながらサスペンスもへったくれも無くなってしまう。これでは真摯なドラマ作りなど不可能であろう。何でもアリの世界観、とだけ言うと、コメディならいけそうな気もしてきそうだが、実際にはコメディにおいても、リアリティの線引きは重要だ。その上、本作は単品で世界観が完結するものではなく、MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)として、他のマーベルスタジオ製の作品群とも同じ世界を舞台にしている。なので、その責任も重大だ。“この世界”のルールそのものを取り扱うことになるため、細心の注意が必要である。その点本作は、見事にその問題をクリアしているのである。

 

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まず魔法に関するルール設定が明確で、しかもそれらが俳優のアクションと必ず紐付いている点が素晴らしい。この身振りをすれば、こういう事が起こる、という、アクションと現象の相関関係を、常に丁寧に紹介しながら進行するのである。この動きをすればこういうことが起きる。このアイテムを使えばこういうことが起きる。あるいは、画面がどういう状態であれば危険で、どういう状態なら安全か、という部分が逐一紹介されていく。また、その線引きが非常に明快なのだ。動作に対する“認知”が自然と行えるように注意している。

 

しっかりと魔術のルールを映像上の動作として見せることができているという点は、本作の非常に優れたポイントである。これはドラマ作りに必要不可欠なサスペンス(ジャンルとしてのサスペンスではなく、ハラハラ感の度合いの事)を起こすために必要不可欠な部分であり、戦略として非常に正しい。正確な認知が無ければ、受け手の気持ちも動きようがない。正しく明快な認知を促してこそのサスペンスである。この辺り、製作陣も、おそらくかなり意図的に注意したのではなかろうかと思う。

 

また、そのように丁寧な前振りがひとつひとつの動作で重ねられているにも関わらず、それらがあからさまな説明にはなっておらず、あくまで本筋の物語を進行する中での一要素として扱われているのも好ましい。正しい意味での伏線を展開できており、非常に印象が良い。

 

中盤のアストラル体での戦闘シーンなどは、ぼんやりした戦闘には決してさせまいとする、本作の矜持が最も発揮されたシーンであろう。白眉である。とかく手法を間違えれば焦点がぼやけてしてしまうであろう精神体同士の戦いにおいて、勝利する為のギミックが明瞭であることはいくら褒めても褒めたりない部分だ。基本的なことだからこそ、しっかりとポイントを押さえてくれていると、非常に嬉しい気持ちになる。

 

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魔法、魔術というものをどういう解釈で描くか、という部分でも本作には工夫が見られる。これまでのところ、シリーズ作ではマイティソーの中で、部分的にではあるが魔法が扱われている。そこでは、魔法というものは発達した科学である、超科学としての魔法世界があるという解釈が行われていたが、今回も似たような、ある種科学的な目線からの説明が行われる。

 

魔術の秘奥技をコンピュータのプログラムに見立て、現実を構成するソースコードを書き換える…といった塩梅だ。意外なことに、実際に劇中でも例えとして“プログラム”“ソースコード”といった用語を使って説明が成される。日本のゲームソフト女神転生シリーズにも、悪魔召喚プログラムという、素晴らしく良く出来た設定が存在するが、それにも類するものである。これは本作における筆頭脚本家のジョン・スペイツ氏のご両親が、共に理工系のエンジニアであるという部分も影響しているかもしれない。御父君は電子工学技師であり、御母君はプログラマーとのことである。それは確かに“ソースコード”という表現を出しても不思議ではないなという気がする。

 

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劇中、カトマンズを訪れたばかりのストレンジが道中のマニグルマを通りすがりに撫でていき、コロコロと回すシーンがさりげなく流れるが、マニグルマなどはまさに経典をプログラム化したような存在であるため、その動作ひとつをとっても意味深に映る。そうした細部は本作の雰囲気作りに役立っている。

 

それにしても、古代から伝わる魔術的なものと先端の科学は対立する存在ではなく、本質として通じ合うものであるという考え方は実に興味深い。それこそドクターストレンジと同時代に、日本では諸星大二郎孔子暗黒伝などで、ケレン味溢れる驚きの道具立てや、その具体的なギミック込みで、見事に提示してみせた世界観である。科学が標榜するいわゆる理屈の世界を超えて、感性の翼を広げることが、実際には物事が自然な軌道を辿るための近道であり、実は理屈にもかなっている。と、そういった考え方は、本作全体が体現するメッセージにも通じることである。

 

本作の筋立ては主に主人公の内面の変化を追ったものである。交通事故により医師としての能力を失ってしまい、心の時間が止まってしまった主人公が、再度立ち上がる。それまでいた世界にいられなくなり、別の世界を知り、古い価値観に決別し、本来の自分に気づき、新しい生を得る。表面上、激しい戦いが起きてはいるが、物語の構造としては、どちらかというと心の内面を扱う女性神話の系譜に依るものである。映画においては登場人物の内面の変化を、ふとした仕草など具体的な動作に託して描くものであるが、本作の場合はそこに派手なアクションが付いてくるため、ケレン味が足されてお得とも言えよう。

 

退屈になりがちなオリジンストーリーの弱点もカバーできている。カンフー映画的な厳しく楽しい修行シーンでドクターストレンジが誕生するまでを彩ることにより、興味を持続できているのが素晴らしい。

 

そして最終的にリスクを伴う解決策を選択する際、そのリスクが主人公の古い価値観では最も忌避していたことであるという構造も理にかなっている。とはいえ“負け”“失敗”という風に、作劇上のワードが若干ばらついていたのが惜しく、これがキーワードとして統一されていればさらにエモーショナルになったであろうが、そこまでは求むまい。よく出来ている。それにこの辺はもしかすると、ワードがばらついていたのは日本語字幕だけかも知れないため、複数回鑑賞して確認しようと思う。マーベル映画は日本語字幕の翻訳クオリティにも若干難がある傾向があるので、こればかりは何とかならないかと思っている。

 

いずれにせよエンシェント・ワンが劇中で言っていたように『理解しようとするのではなく、流れに身を委ねよ“surrender”』というのは、実は創作論、脚本執筆論としてもそのまま有効な方法論なのである。ジャッキーやスタローンなどの映画人が、恐らくアカデミックな学習そのものはしていないであろうにも関わらず、神話的な構造を精緻に辿る物語を紡いできたように、理屈を突き詰めると、本当に人間が力を発揮するために大切な事は、理屈を超えた先にあるということが分かってくるのだ。大事なのは“無意識”の力を呼び覚ますことである。

 

人間は実人生でも、実は神話的な物語構造を辿って生きている。人生のより良い変化の邪魔をするのはいつでも、その当人の自意識が作り上げた不快な情動であり、未清算の過去のトラウマなのである。

 

これは、近年日本でもようやく広まり始めた心の問題に対する研究、“意識”と“無意識”の関係性にも通じる話である。ここでは詳細には触れないが、あらゆる原因により傷つき続けてきた自分自身の心に向き合い、あるいは自意識というものの呪縛からの解放を目指し、楽に生きられるようにするために有効なアプローチであるため、ご興味ある諸氏におかれましては、書店で関連書籍を探られることをお勧めしたい。

 

考えるな、感じろ これは実に科学的な言葉でもあるのだ。

 

尚、本作の筆頭脚本家であるジョン・スペイツ氏は『ダーケストアワー 消滅 (The Darkest Hour)』(2011) や、『パッセンジャー(Passengers)』(2016) の脚本家として、主にジャンルフィクションを手がけている脚本家とのことであるが、彼氏のほぼ単独作となるこれらの作品は未見であるため、これからの楽しみとして鑑賞しようと思う。

 

ハリウッドの映画界には脚本をプールしておき、エージェントがその中から良質な企画として開発できそうなものを拾ってくるというシステムがあるが、パッセンジャーなどは、これに引っかかって制作が開始された映画であるとのことだ。ということは、その一件から考えても、おそらく安定的に一定以上の技巧を発揮できる作家であろうということが推測できる。本作一作ではさすがにその個性までは探ることは出来ないが、本作で語られていることを鑑みるに、創作論としてもかなり良い感覚を持っている方なのではないかと感じたため、個人的に今後とも注目したい人物となった。要注目だ。

 

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本作の面白さの大きな要素として、その映像演出も挙げざるを得ない。まるで万華鏡のように現実世界が屈折していき、幾何学模様に様相を変えていく。その中を人物が飛び回る様は、飽くことなく延々と観ていたくなる不思議な魅力がある。

 

幾何学模様というのは、実際にはいかにも After Effects や Nuke のような、近年必須となった映像加工ソフトの得意分野であるわけだが、そもそも幾何学というのは神秘世界にも通じる分野であり、逆に魔法陣に代表されるような図案はそのまま数学の表れであるため、これが意外なほど相性が良く感じられるのだ。

 

先に述べたように進んだ科学は魔術と同じという発想は、それ自体は古くからある素朴なものではあるが、実際にコンピューターグラフィックスで演出された魔術体系的な美しい魔法陣を見せられると、いよいよその感を強めてしまうものである。

 

最近はCGで描かれた映像を見慣れすぎている。観た端からあまりにCGを意識させる映像というのは、いくら凄くとも少々興が醒めてしまいそうなものであるが、本作に関してはなんとも不思議な馴染みがあった。もしかすると、いかにもCG的な映像というものも、一定のデザインラインを越え、題材に対する相性が良ければ、それこそ魔術的な説得力を増すものなのかもしれない。

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というよりも、そもそも幾何学模様のような図案が数学から発進したものであるのならば、数学を使って情報を処理するコンピューターによって描かれる、本作のような映像表現は、実は我々が想像するよりもずっと、本義的に魔術的なものだとも言えるのかもしれない。理屈の世界を超えて自然の摂理に繋がるという、ストーリー面でのテーマともしっかりと呼応した映像だとも言えよう。

 

いずれにせよ、これまでは細分化された別のジャンルの学問だと思っていた物が、本質的な部分での共通項により結合していき、新たな知性へと統一されていくような感覚は、実に今日的なものである。20世紀までは学問の細分化が進んだが、これからの時代はそれらを集合させる時代だという意見もどこかで耳にした。これからはむしろジャンルを越境する自然な柔軟さによって、身体感覚に基づいた新たな知性が生まれていくのかもしれない。

 

私自身そうなのだが、どうしても今時は、はいはいCGね、という、少々斜に構えた感覚が出てきてしまいやすいものだと思う。だが本作の映像は、そういうわけで、単にCG技術が最先端だという意味だけでなく、とても今風なものであるように感じられた。なにやら同時代的に意味深なことが行われているような気がして、非常に興味深く、楽しく観ることができたのである。

 

少々話が大きくなってしまったので、もう少し具体的な戦闘描写の話をしようと思う。

 

思えばマイティソーダークワールド最終盤での、ゲームソフト『ポータル(Portal)』的なテレポート戦も、ちょっとそれまではあまり見たことがないような新しい感覚があり、それはもう非常に面白かったものであるが、本作ではそういった空間転移戦の要素も引き継ぎつつ、上下左右をかき混ぜてくる中での戦闘が行われる。上も下もひっくり返るドタバタアクションは楽しい見所である。とはいえ、何の戦略も無く前後不覚、天地無用の映像を作ってしまうと、アクションシーンとしてはわかりづらくなってしまいそうなものであるが、本作は他のマーベル映画がそうであるように、敵と味方、彼我の位置関係にも気を使っているので分かりづらくはならないのも美点だ。

 

申し訳ない、ここでラストバトルの演出上の重大なネタバレを挟むので、ご注意頂きたいのだが…

 

本作の最終盤戦では、空間のかき混ぜに加えて、時空のかき混ぜまで行われるのである。とある理由で時間が巻き戻されて大破壊された街並みが元に戻っていく中を、普通に動ける戦士たちが戦うのだ。我々はハッキリ言って大作映画のディザスターシーンなど、何十万回も観せられており、とうの昔に見飽きてしまっているわけであるが、まさかの“逆ディザスターシーン”である。それもその最中での戦闘には意表を突かれた。すでに破壊されたものが元に戻っていく中での戦闘だ。飛び交う…否、収まっていく?飛来物などに注意しながら、その状況の変化をしっかりアクションに利用して戦うのである。この戦闘シーンはかなり新鮮な気持ちで見ることができ、非常に面白かった。四次元バトルである。それこそかつてスコット・デリクソンが手掛けたディザスター映画が、やや新鮮味に欠けるという意味で、少々退屈だったという印象への汚名返上であるとも言えよう。と同時に、名誉挽回でもある。

 

本作の戦闘シーンはどのパートも良く趣向の凝らされた“オモシロ映像”ばかりであり、必見だ。

 

本作で忘れてはならない重要なファクターはもう一つある。いわゆるサイケデリックでドラッギーな映像表現である。プロデューサーの言によれば本作は“マーベル版ファンタジア”であるとのことである。なんと明快なビジョンであろうか。

 

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ご存知の通り、初期のディズニー映画こそはまさにサイケ表現の申し子である。コミックスでサイケの極みを魅せていたドクターストレンジが映画化するにあたってイメージソースとするのがファンタジアだとは、なんという因縁であろう。今やディズニー傘下となったマーベルであるから、本作はその確かな成果であるとも言えるし、なんとも時空が捻じれた奇妙な円環のようにも感じる。

 

尚、ファンタジアももちろんそうだが、ドラッギーな映像というと、個人的には『不思議の国のアリス』も相当キテいると感じる。最近はコードの影響でイカれ帽子屋と言っている土井美加氏によるかつての吹き替え版が消えてしまい寂しい限りである。

 

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ここでコミックスでのドクターストレンジの話をしようと思う。彼を創造したのはスパイダーマンと同じく、スタンリー&スティーブ・ディッコのコンビである。もちろんその仕事は歴史的な快挙であるが、しかしこのキャラクターの発展にとっては、むしろビル・マントロやジム・スターリンこそが、非常に重要であったろう。やはりその内容が極に達したのはサイケ表現を爆発させた60年代終わりから70年代の作品群ではないか。

 

ここで声を大にして言いたいことがある。どの出版社でも良いが、一刻も早く彼らの作品を邦訳して頂きたいのである。ビル・マントロこそがその奔放な想像力でマーベルのコズミック世界を押し広げ、ジム・スターリンこそがその強力な幻惑力でサイケ表現の極みを魅せているわけであるが、残念なことに、彼らが担当していた時期のドクターストレンジは、未だ日本では紹介されていない状態なのだ。今回の映画に直接関係している彼らの作品群が抜けている状況というのは、これは小プロもヴィレッジブックスも、両社共に画竜点睛を欠いていると言わざるを得ない。

 

今回いくつか邦訳された単行本は、単に本国で出版された映画便乗本を翻訳したものである。そもそもそれらは読み切りの企画本であるため、サイケ表現が炸裂していたドクターストレンジの真骨頂が堪能できるようなものではない。クリス・バチャロによる最新成果ももちろん重要だが、まさにサイケ表現華やかなりし頃の重要作が抜けているという穴は非常に大きい。映画関連本のラインナップが本国と同じなら良いではないかと思いそうなところであるが、単に本国では当時の作品を読める環境が充実しているから、新規に独自編集する必要がないだけである。

 

というわけで、ここでオススメの邦訳本を紹介する。

 

ドクター・ストレンジ:プレリュード (ShoPro Books)

ドクター・ストレンジ:プレリュード (ShoPro Books)

 

 まずは『ドクターストレンジ:プレリュード』である。これには貴重なドクターストレンジ初登場号『STRANGE TALES #110』(1951) 等が収録されている。前述したスタンリー&スティーブ・ディッコによるものだ。

 

この映画に連動したプレリュードシリーズは、映画では描かれなかった前日譚、後日譚など、映画の直接のサブストーリーがコミックスで楽しめるという部分も売りになっているシリーズなのだが、基本的にはサブスタッフが担当するミニエピソードといった趣であるため、あくまでパンフレットのおまけ程度のものである。しかし同時に、映画で主役を張るキャラクターの記念すべき初登場号や、過去の重要作が同時収録されており、これには非常な値打ちがある。前述した書き下ろしのサブストーリーコミックスも、併読することで単純に絵柄の違いを楽しめるといった要素も出てくるため、そうなると楽しみ方も増すであろう。いずれ海外には“パンフレット”の習慣がないため、本国における映画パンフレットに代わるようなものだと言えよう。

 

そこでもう一冊オススメしたい邦訳本があるのだが、実は誠に恐縮ながらドクターストレンジが登場する作品ではない。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:プレリュード』である。

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:プレリュード (MARVEL)

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:プレリュード (MARVEL)

 

 

いくらなんでもドクターストレンジではないというのはあんまりなので、話半分にお聞きいただきたいのだが、この邦訳本にはガモーラが初登場直後に活躍する号として『Strange Tales #180』(1975) アダムウォーロックが収録されているのである。 

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このアダムウォーロック誌こそが、当時20代だったジム・スターリンが暴れていたタイトルであり、マーベルコミックスにおけるサイケデリック文化の受容と開花が堪能できる一作なのである。

 

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この色彩をご覧いただきたい。カラリストもノリにノっている。極彩色の宇宙には気狂いピエロが乱舞し、いきなり写実的なタッチの肖像画が現れたかと思うと、それは製作者の内輪ネタであったりする。敵との対決も精神世界の出来事であったりと、もはやなんじゃこりゃと言わんばかりの、あまりに奔放なイマジネーションが炸裂し、イメージの奔流にクラクラとめまいがしてくる。これぞサイケの申し子と言えるようなコミックである。素晴らしい。そしてジム・スターリンによるドクターストレンジはこのテイストに近いものなのである。

 

ちなみにこのアダムウォーロック誌は、コールソン役でお馴染みのクラーク・グレッグ氏の大のお気に入りとのことである。彼氏は幼少の頃より本当にコミックスファンであり、マーベルステジオ製映画へは喜んで出演しているそうであるが、中でもジム・スターリンクラーク・グレッグ氏にとっての長年のヒーローであったとのことである。この辺の話は以下のインタビューと『アンベンジャーズ:エンドレス・ウォー・タイム』収録の前書きで語られていることであるので、ご興味ある諸氏はぜひご一読の程オススメしたい。

wikia-cp.com

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尚、アダムウォーロックは“繭”の状態で既に『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』に登場している。我らがベニチオ・デルトロ扮するコレクターのコレクションにご注目を。

 

今一度映画の話に戻ろう。もうひとつだけ最後に触れておきたいトピックとして、原作アメコミファンにとっては、衝撃のワードが登場するということも述べておきたい。

 

とうとうこの言葉が映画作品内においても登場した。“多元世界 マルチバース”である。

 

マルチバースという言葉は無数に存在する並行世界を表す用語であり、マーベルコミックス本編の設定上、頻繁に取り上げられるものだ。私たちが今現実に過ごしているこの世界をも含め、映画シリーズもアニメシリーズもTVゲームも、すべてはマーベル宇宙に存在する並行世界なのだという設定の話である。

 

さらに衝撃的なことには“分岐”についても触れられる。別の歴史というやつだ。並行世界の可能性がこれによりさらに広がった。これは今後の映画展開において、非常に重要な意味を持つ。ドクターストレンジが媒介すれば、別世界への可能性が開けるのだ。

 

まさかのアルティメッツ展開による、将来的な映画シリーズのイメージ一新政策か… はたまたX-menとの合流か… 手始めにベイマックスとの交流か…。

 

やや不穏なものも含め、楽しい想像は止まらない。これからのシリーズの展開に期待せざるを得ない。

 

尚、アメコミ世界におけるユニバースの扱いや、その長い歴史から発生する特有の魅力については先日記事をしたためたので、コミックス本編の方にもご興味がおありの方は、御一読頂けると非常に嬉しい。

rbr.hatenablog.com

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長くなってしまったが、今回の『ドクターストレンジ』、非常に楽しめた。私はIMAX3Dで鑑賞したのだが、本作とはすこぶる相性が良かった。内容的に非常に3D映えする映像が多くあるし、耐性のある方は、ぜひ3Dでの鑑賞をオススメしたい。

 

鑑賞後、映画の仕上がりが素晴らしくて、あまりに嬉しい気持ちになったものだから、勢いでグッズも結構買ってしまった。ちなみに私が購入したものはこちら。 

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それにしてもまさかアガモットの目があるだなんて。なんとありがたいことか。アガモットの目はドクターストレンジを象徴するアイテムでありながら、これだけお手頃価格で単品で製品化するようなことは本国でも少なかろう。

 

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もしも本格的な造りのものがあったとしても、それはあまりにゴツかろうし、実に程よい塩梅である。これは買っておくべきだろうと即購入を決めた。あるいはトライバルファッションで身を固めた諸兄であれば良いものの、さすがに本当にペンダントとして使うには、全体のコーディネートをかなり工夫する必要があるが、まあカバンなどにつけようと思う。

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ちなみにグッズの中には実によく分かっている事に、カレイドスコープまでが展開されていた。周りの景色をそのまま取り込んで反射させるタイプの万華鏡である。正直、本作を観た後はなんだかすごく欲しくなるアイテムなのであるが、ここは努めて冷静になろうと自分に言い聞かせ、こういうものは世にたくさんあるのだから、なにもストレンジの絵柄が印刷された万華鏡でなくとも、実際劇中に登場しそうな雰囲気あるものを入手すれば良いではないかと思い直し、グッと堪えることにした。もちろんストレンジの絵柄が好みの場合は勢いで買ってしまっても良いと思う。雰囲気を味わいながら映画を反芻できるひとときというのは、実に幸せなものである。

 

 

あと、今気づいたのだが、もしかすると… …これは…!

 

 

カ…カ… カンバーバッチの…

 

 

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カンバッ…

 

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